決断をまかされた議会 |
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昨日開会した6月議会に、追加議案として久喜市が有する権利を久喜市が自ら放棄する議案が提案された。住民訴訟で敗訴した結果、久喜市が得た権利を議会で放棄することを決める議案だが、全国的にもあまり例がなく波紋をよんでいる。
この問題は難しいのでかいつまんで分かりやすく書くが、久喜市が数年前から久喜市内にある吉羽土地整理組合(以下、組合)に市の職員を派遣していたが、この派遣の間、市の職員に支出していた給与と組合に交付していた補助金が違法だとして住民訴訟が提起されていた。 この判決を受けて、久喜市はすぐに控訴をしたが、今回の議案では判決にもとづいて久喜市に権利があるという、市長の田中暄二氏と吉羽土地区画組合への、それぞれ約1500万円ずつの不当利得返還請求権や損害賠償請求権と、裁判では適法とされ、現在は存在しない補助金についての不当利得返還請求権と損害賠償請求権などをあらかじめ放棄する内容となっている。 仮に、損害賠償請求権を議会の議決によって久喜市が放棄した場合、現在、久喜市が控訴している裁判そのものが却下されてなくなると予想され、市関係者の話では、市はこれを期待して議会に権利放棄の議決をお願いしたとしている。 今後の議会の対応が注目される。 |
(ちょい一言)
上記の件が報道された直後から、私にも問合せや市の対応に関する抗議の電話がかかってきている。当然だろう。
市長が言うことにも同情する。何も市長自身が利益を自分の懐に入れたわけでもないし、結果的には街の整備ができ市民の利益が向上したと思う。市長としては、「まちの為に、住民のためにやったのに、何でまるで悪いことをしたように言われ、それも損害賠償金を払わなければならないのか」ということだろう。
確かに、市長(公人)としての責任を個人で負うという現在の法自体にも問題がないとはいえない。しかしこの制度は、企業の場合は、経営者の失敗で企業の利益が減少するなどした場合、株主代表訴訟などで経営者個人が個人資産も使って損害賠償の責があるのに比べ、自治体のトップである首長が自治体に不利益を与えた場合にも、その損害賠償を公費でまかなう従来の制度を見直して、首長の個人としての責任を重く、明確化したものだと記憶している。
「どうして個人が?」「 まちのためにしたのに!」 の考えも理解するが、だからと言って住民に帰すべき権利(損害賠償請求権など)を放棄するのは別の問題だ。
判決を見れば、焦点である公益法人等派遣法に違反して職員を派遣していたことは明らかで、疑う余地はない。裁判での久喜市の主張にはかなりの無理がある。
判決に不服であれば、司法の場で自分の主張をとことん闘わせるべきだ。実際に、市は判決の後に、これを不服として控訴している。例え、結審で負けが見えていても、正しいと主張するからには自分の正当性を最後まで主張すべきだ。
議案の提案理由では、「一切の疑義を解消すべく」と正当性を主張しているが、裁判では適法とされた補助金についての、現在は存在していない久喜市の不当利得返還請求権と損害賠償請求権を将来に渡って放棄する内容となっている。発生していない権利を先に放棄することで、原告の訴えをかわす狙いがあるものと思うが、これで果たして「疑義が解消」するのか。疑義を解消する主張を正々堂々とやって欲しい。
当事者からは、奇麗ごとを言うなと言われるかも知れないが、市などは自分の主張をはっきりと、しかるべき所で主張しないで、もやもやしないのだろうか。
今回提出された議案は、この市が裁判によって有することになった、不当利得返還請求権と損害賠償請求権を放棄するというもの。仮にこの議案が可決されて損害賠償請求権を市が失った場合には、現在、控訴している裁判で訴えの利益がなくなり、却下となることが予想されている。
却下を望んでのことであれば、最初から控訴などしなければいいと感じるのは私だけではないはずだ。戦わずして、自分の主張も述べることなく裁判そのものがなくなる戦術を選んだ市の決断に素直に納得はできない。